2007年02月14日

アーユルヴェーダとケータイ

今日は節々が抜けるようで朝なかなか起きられなかった。
3連休中風邪気味だったし…気を抜いたのがいけなかった。
ヤヴァイ箇所にピッ(;´Д`)と当てただけで
ツボと直接データを送受信→症状を即改善
こんなケータイってないだろうか。直せなくとも診断結果を出力するだけでもスゴイ。
そんなもんが出来たら間違いなく人類史上最大のヒット商品の一つになるんだが。 気(プラーナ)が出入りするチャンネル、すなわち「ツボ(チャクラ)」は、西洋医学的には「存在しない」んだそうだ。その機能をつかさどる器官が見つからないからとか。
しかし、中国では漢方医の鍼麻酔で産科医が帝王切開する位は珍しくないそうだし、現に患者が脳ミソをつつかれながら執刀医と話合ってる映像を以前TVで見たことがある。
それらが「あるある」並みの捏造なら、ただの傷害・暴行になってしまう。
いくら中国広しと言えども、手術の苦痛をガマンできるくらい強い人なんて大勢居ないだろう。

 現実の効力を無視できないので近年は厚労省も「代替医療」と位置づけ、医大もカリキュラムラムに東洋医学を取り入れるようになって来た。
おそらく東洋医学的な「効く」は特定の組織だけで起きる変化ではなく、ココロを含んだカラダの「総合的状態の調整」、「状態の交通整理」みたいなものじゃなかろうか。
 人体を構成する分子そのものが絶え間なく入れ替わっているにもかかわらず、肉体も人格も働きとして継続しているんだから、こう捉える方が自然だ。まさに、行く川の流れは絶へずして‥‥の世界そのものに思える。

 そう考えると、脳組織の標本をいくら切り刻んでも心に辿り着かないのは当たり前で、PET*による脳の活性状態の解析、スーパーコンピュータによる脳シュミレーション、更には生体物質を使ったバイオ回路あたりが、切り口としていい線行っているように感じる。

 一歩進んで考えると、脳やゲノム**だけ追いかけてもてもダメで、全身に宿るものの働きを(オカルトじゃなくね)、利害を超越して、ヒト社会全体で突き詰めようと本気で労力を投入しない限り、出口は見えないだろう。
それが始まったとき、ツボのようなものも、同じ研究の流れの上でココロやタマシイと表裏一体の現象として、いずれは正体を現すのではないかな。
 iPhoneやPradaphoneもCOOLだけど、ホントはそれよかずっとツボケータイが欲し〜い。

誰か作って!

別に電話じゃなくてもいいんだけどね(w



 *PET:X線(レントゲンやCTね)や磁力線(MRIね)の代わりに、ものすげー高エネルギーで素粒子を加速してぶつけた時に出来る、陽電子(Positron)のビームで生き物の体を覗くカメラ。
水分など、水素が一杯ある所を良く映し出すので血流の分布の変化をリアルタイムで動画に撮れる。脳の活動の研究を飛躍的に進化させたスグレモノ。
ただ、大掛かりな粒子加速器に併設する必要があるから、莫大なカネと広〜い土地が要るのがタマにキズ。

 **生命の設計図・遺伝子は言うまでもなくDNAやRNA(今流行の核酸)で書かれているが、「足の短さ」「禿げ具合」「酒の強さ」みたいな個々の形質に関係する遺伝子群を、そのひと一人分、丸々集めたワンセットをゲノムという。
だからゲノムは、機能面で見れば遺伝子の集合体で出来ており、物質面で見ればDNAの糸の繋ぎ合わせで出来ている。
そしてその意味するものは、ヒトという種族のなかの自分という、アイデンティティそのものだ。
 自分が今ここにいて、日々作られ消えて行くあらゆる種類の細胞や酵素の営みが、ゲノムの色んな場所にあるスイッチのON/OFFでコントロールされている。この事実は、30幾億年の進化の奇跡としか言いようがない。
 しかし、一卵性双生児が全く違った性格に育つのを見ても分るように、生命とは、親からもらったゲノムと、その置かれた環境との相互作用で発生・変化する「現象」そのものであり、当然ゲノムだけで全て決まるものではない。
 現象としての生命を考える時、ココロとカラダを分離して硬直してしまった、西欧的発想の20世紀科学に対する何らかのブレイクスルーが望まれる。
posted by Francisco at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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