あ、ない。でもこの本は音楽に深く係る人には必携のスグレ本ですよ。
→平島 達司:ゼロビートの再発見(ショパン・2004年・単行本復刻版)
故・平島 達司さんは元々エンジニアだけど音響学に造詣が深くて、「19世紀より前の音楽の響きは今とぜんぜん違ってた」って事を科学的に実証したばかりじゃなくて、沢山の一流の演奏家たちの活動をテクノロジーの面からサポートし続けた。
今、世間で使ってるピアノの調律は「平均律」といって、どんなキーも楽に弾ける半面、「コード(和音)がいつでも少しだけ濁っている」。大多数の人は小さい頃からこの音を刷り込まれちゃってるので、ピンと来なくなってる。
一方、モーツァルトが弾いてた音は「古典音律」だったから、コーラスやストリングスのアンサンブルと同じで、透明なハーモニーだった。それに、キーを移動すると、音色の感じまで変わっちゃうというものだった。
つまり「ハ長調(Cメジャー)の音色」、「変ホ長調(Eフラットメジャー)の音色」っていうものが実在したんだね。
昔のヨーロッパ人は、ずいぶん豊かな音の世界を楽しんでたらしい。
「ゼロビート」というのは、濁り(音のうなり、ビート)がない、ピュアで透明な音の状態のこと。
つまり、現代人の大半は「ドミソ」のホントの響きが分からなくなっているんだな....
キレイにハモるには、「ドミソ」の「ミ」を結構低く歌わないといけない。ブラスバンドなんかをやってた人は先輩からそう教わった事があるかもしれない。和音をカッコよく鳴らすには「ミとラとシは低く」って技がある。
でも、これは声やヴァイオリン・管楽器ならできても、ピアノだと12種類の鍵盤の音を不均等にしないと実現しないし、調律の仕方が無数といえるほどあって、今ではできる人がほとんど居ない。ピアノを均等な「平均律」にして大量に売るようになったのは19世紀後半からだから、その歴史はまだ始まったばかりといえる。子供の音楽教育の入口は大抵ピアノでしょ。真実に触れるチャンスがないんだよね。教育ってのは、つくづく恐ろしいもんだ。
そしてこの宝物のような本を復刻するために奔走してくれたのが、玉木 宏樹さん。
→玉木 宏樹:音の後進国日本 ― 純正律のすすめ (文化創作出版・1998年・単行本)
最近はスポーツニュースで野球の評論をしてたりする、ヒゲとメガネのおじさんだと思われてるこの人、実はは有名な作曲家で、元々ヴァイオリニストなんですねー。
ドラマの音楽をたくさん書いてて、ちょっと古いけど「大江戸捜査網」の壮大なテーマ曲が特に有名。
それはさておいて玉木さんは、世の中の和音が何でもかんでも「平均律」で間に合わされちゃってるので、ホントのキレイな響きをみんながわかんなくなって来てる、って持論の持ち主。
確かにそう思う。「ウィーン少年合唱団」とか「TAKE6」、「アンサンブル・プラネタ」のような神がかったように美しい響きを知ってしまうと、玉木さんの言う駅の発車メロディとか、ピアノの音に音程を合せて歌ってるママさんコーラスとか、着メロの類が、すさまじい濁った音に聞こえて来ちゃう。
元々この見直しの流れは、バロック音楽などの「古楽」のプレイヤーや音楽学者たちが仕掛けたのが始まりだったけど、余りに鮮やかでキレイな音がするので、段々18〜19世紀の「普通の」クラシックにも広がって来ている。
それはダ・ヴィンチやミケランジェロの名画の垢をクリーニングして、完成当時の色を蘇らせる作業と、時代的にも呼応してる。アートはジャンルに関係なく地下の水脈で繋がってるからね。
そして、ピアノでも内田光子さんのように「古典音律」の美しい響きの再現を情熱的に実験し続けてる人が増えて来た。シューベルトやショパンが愛した本当の響き...
そんな事に全然関心のない音大生に出会っちゃったりすると、もう平島さんのこの本を全国の音大や音高の教科書にしてしまえばいいのに、とさえ思うのだ。
【関連する記事】