日本のエンターテインメントの宝物。
順番とはいえ、あの美声の豪快な高笑いが聞けなくなるのは寂しい。
数ヶ月前、TVで久し振りに谷啓さんと対談したとき、収録の最後の別れぎわに、
「お互いこの年になるとねっ、分かるよね…」
と谷さんに優しく微笑み掛けて、二人で目を潤ませて見詰め合ってたのが印象的だった....
植木さん(ハナ肇とクレージーキャッツ)の芸風には、どんなにおバカなギャグの中にも、何とも言えないスタイリッシュな「品」がある。
「華がある」と言うんだろうか。それはTV・映画・音楽すべてに貫かれている。
特にあの「スーダラ節」「だまって俺について来い」をはじめ、1960年代に映画「無責任男」シリーズと連携して次々リリースされたコミックソングの数々は、今聴いてもスゴいとしか言いようがない。
そのハチャメチャなパワーはアメリカのドタバタ・ジャズの大御所"スパイク・ジョーンズ"を完全に凌駕している。
当時の曲はどれも、フル編成のビッグバンドとストリングセクションをスタジオにカンヅメにして一発録りしている。
レコーダはたったの4トラック。コンピュータなんぞ影も形もない。そこから生まれる手触りは、上質そのもの。
アルバム原盤1枚の予算が1000万でもかけ過ぎだなんて言われ、何でもソフトで作っちゃうセチガライ今では、そうそう再現できない。
しかし、たった1度、1990年に「スーダラ伝説」というアルバムが新たにレコーディングされ、全世代に衝撃を与えた(ファンハウス FHCF-1088)。
「こんなカッコいい芸人が日本にいたなんて。」
→植木さんの美しい歌声を今の感覚でリミックスしたシングル「スーダラ伝説」(アルバムのタイトルチューン)もすばらしい。
往時を知る渡辺晋(初代ナベプロ社長 *)、ハナ肇(バンドマスター)、萩原哲晶(作曲)、宮川泰(編曲)、青島幸雄(作詞)各氏も次々と旅立った。
昭和の高度成長時代の残照は、巨星の死と共に地平線に没しようとしている。
でも、あの不思議な輝きはたくさんの作品の中に生き続けている。
10代の人にもDVDやCDを視聴するチャンスがあったらゼヒ、このゴージャスな世界に触れて欲しい。
いいオトナが寄ってたかって全力投球した、本物のエンターテインメントを味わえること請け合いだよ。
植木さんとクレージーを語らせたらココ!
→CrazyBeats様
(*ワタナベプロの作った渡辺音楽出版は、「楽曲の版権や原盤権をレコード会ではなく音楽出版社が管理」して、所属アーティストからの売上げを自社に還流させるという、今では当たり前となったビジネスモデルの一つを初めて確立した。)
追記:あれから調べたら、植木さんは知る人ぞ知る前衛声楽家:平山美智子さんに1954年頃ヴォーカルを師事していたんですね。
平山さんはその後、イタリア貴族出身の孤高の作曲家:故ジャチント・シェルシさんのパートナーとして曲を紹介している事で知られています。
(シェルシさんは楽譜を読み書きできなくなるという障害を患っていたため、平山さんら周りのミュージシャンとのコラボを通じて神秘の音世界を発表してきました。実はシェルシ作品集のCD持ってたりして(^^;)
知りませんでした。自分もまだまだヒヨッコですね。
興味を持ったきっかけは小林信彦氏のエッセイ。
映画ニッポン無責任時代自体にはちょっぴり照れくさい晴れやかを感じていました。(なんか、てへへ・・。ってかんじ) 懐かしさに釣られ書き込みました(笑)。