2007年05月21日

ともに生きる

雨のにおい。仔猫を抱き寄せたときのぬくもり。陽光に透かしたトンボの羽根。
置き忘れてきてしまったものを捜しに行きませんか。

ブログを始めてちょうど100エントリ目。たまには美しいものについて書こうかな。

◆その1◆
5/19、東京・お台場で開催中のグレゴリー・コルベールさんのアートプロジェクト「ashes and snow」展(6/24まで)を見た。
 →ashes and snow公式サイト

ashesandsnow.jpg


インド・エジプト・ミャンマー・トンガ・スリランカ・ナミビア・ケニア・南極大陸・ボルネオ諸島。。。
世界中を15年間にわたってロケし、人間と動物のこころの交流を撮り溜めた写真と映画作品、
そして美術装置・音楽・美術装置・手紙形式の小説が一体となっている。
このノマディック美術館じたいが世界を次々と旅する移動美術館になっている。(nomad=遊牧民)

コルベールさんの写真が探求するものは、動物が自分の生息地で人間とふれあうときに見せる詩的感性で、
そこでは人間も、人類という種の一個体ではなく、動物界の一員として描かれている。

どれも一切のデジタル画像処理や合成はしていない。
アンバーとセピアだけのモノクロームの世界だけど、むせ返るような色彩と匂い、リアルな肌触りに圧倒される

すごいのはヒトと動物が完全に対等の関係で見つめ合っていることだ....

ゾウの深いまなざしは賢人のようで、はっとする。
バレエに興じるクジラとヒトが段々区別できなくなる。
オランウータンとヒトの、つないだ指先に走る「なにか」。
チーターと一緒にナミブの砂に吹かれ、子供にそっと耳打ちするサン族のお年寄り。
伝えるということ。

命のリングがゆっくりと回ってゆく。

生まれて、土に返る。
ただそれだけ。
ヒトも、動物も、草木も。
きみは、きみのままでいいんだよ。

不覚にも涙腺を直撃される。

ここにある全てのものは、「油断すると失われてしまう物」ばかりだ。

コルベールさんはメディア側でドキュメンタリーフィルムの製作者から始めて、映画界から芸術写真に身を投じるようになった。
「全ての動物が共有できる言葉と詩的感性を探求しながら、私はかつて人間が動物と平和に共存していた頃の、共通の土台を再発見することを目指しているのです」
「私の画像が描き出す世界には、始めも終わりもなければ、こちらとあちらという観念もなく、過去も現在も存在していません」
コルベールさんは先日、朝日新聞の広告特集の中でも、
「ヒトと動物の心が一つになり、全てが最高のシーンに溶け合った時、もうこのまま死んでもいいと思うくらい幸せを感じる」という意味のことを語っていた。
根気よく触れ合えば、野生のハイエナやマッコウクジラなどの猛獣も、自分から心を開いてくるそうだよ。
そういえばシャチ(オルカ)のショーで見る、飼育員との友情はすごいもんね。

でも、ベジタリアンになれ、みたいな説教臭い事は言わない。
ヒトはヒトを、トリはトリを精一杯生きるしかない。

写真作品は専用の手漉きの和紙に印刷されている。

水中撮影の写真は写真家・中村宏治さんとの協働。

詩の日本語版の朗読は俳優・渡辺謙さん。自分のいのちと正面から向き合った人の声にはリアルさがある。

建築・美術装置は、阪神の被災地はじめ各地で難民の住環境を支援する建築家、坂茂(ばん しげる)さんの設計。
125個の貨物コンテナをを壁状に4列積んで、その間にテントを張ったシンプルな造り。
ほの暗い巨大な空間は、古代ローマのバシリカを思わせ、寺院のようにも見える。
しかも屋根を渡して支えるためのフレームは、柱も梁(はり)も「紙管」、つまり太い紙の筒で出来ている。
ゾーンをゆるやかに仕切る優しい色のカーテンは、スリランカの使用済みティーバッグをプレスして無数にはぎ合わせたもの。
コンテナは旅先でそのつど借り、終わったら返すからその輸送分の燃料はいらない。
ゴミがほとんど出ない。このツアーで出るCO2も普通の移動テントより格段に少ないだろう。

こういうプロジェクトは、声高に環境保全を訴えるより、はるかにインパクトがある。


◆その2◆
これは見に行けなかったけど、GW中(4/24-5/6)に「Being いきてること展」という参加型プロジェクトが東京・井の頭自然文化園の動物園であった。
 →公式サイト
 →提供企業Appleの「Macをはじめた人たちの声」のページ

これは慶応義塾大学と明治学院大学の共同研究プロジェクト「ZOO PROJECT」の一環。
「動物園をリデザインする」がコンセプト。
いろんなワークショップや実験の中でも今回の目玉は、iPodによる、動物の音声ガイドや動物の鼓動音、動物の視点で見た景色の体験。
入口でポッドキャスティングを仕込んだiPodを借りて、好きな動物のところに行けば、その動物の気持になって触れ合える。
27台のiPodは大活躍で、初めて使う家族も多かったけど、すぐに子供たちが使いこなして大人たちに教えてあげてたとか。
もちろん自宅のiPodにWEBからコンテンツを落として持ち込んでもOK。

資料館のワークショップも楽しそう。
「工作はな子」:粘土を使って井の頭の人気者、ゾウのはな子を子供たちが作って、それを実物大にスクリーンに大迫力で投影。
「ねんど劇場はな子」:クレイアニメーションを制作してウェブ上でリアルタイムに公開。
「Animalizer」:動物のフィギュアをテーブルに載せてその横の大きな箱の中を覗くと、その動物の視界が広がる。
人形のICタグを受信機がスイカやイコカの改札みたいに拾うんだそうだ。

その他
「Inokashira Player」:3台のMacで園内をバーチャル体験できる。動物のアイコンをクリックするとその動物のイメージ検索結果を表示し、人のアイコンをクリックすると「井の頭自然文化園」などのキーワードによるブログ検索結果を表示する。リアルワールドとの双方向性もちゃんとフォローされてる。

このプロジェクトは職員の人たちにも大いに刺激になったみたい。
若い人たちが頑張ってるのを見ると、勇気が沸いてくる。
多摩動物公園(東京都)や旭山動物園(北海道)から、動物のナマナマしい迫力を見せる「行動展示」が広がり始めてる。
オリに閉じ込めて見せ物にする動物園から、生きることを研究・教育する為に動物たちと一緒に感じる動物園へ。

映画「フォレスト・ガンプ」の冒頭で、フォレストの目の前に、ひとひらの羽が街を漂って舞い降りてくるワンカットを思い出した。
あの羽は、100%CGなんだよね。ハデな戦闘シーンなんかが主流の時代に、「優しさ」を表現したことの衝撃。
たったひとつの場面で、あれ以来、CGの使い方の流れ全体が変わってしまった。
人工的でいかにもハイテクなものから、しぜんでファンタスティックなものへ。
その情熱は受け継がれ、「パイレーツ・オブ・カリビアン」に出て来るタコ足ヒゲの「デイヴィ・ジョーンズ」なんか、驚いたことに一人ぶん丸ごとCGで創れるまでになった。
どう見ても特殊メイクの俳優が動いてるようにしか見えないよね。

「Being いきてること展」はそんな動物園の変革の大きな流れに、テクノロジー面からの小さな一石を投じたかもしれない。
テクノロジーを意識させななくなった時、はじめてテクノロジーはおカネでは手に入らない豊かさに届き始めると思う。


美術館を出たら日本晴れ。初夏の光にお花畑が輝いていた。
ふと足元をみると、四つ葉のクローバーが(^^)V
おっ、また発見。またまた発見。すげーラッキー・・・?
どーなってんだ? よく見たら五つ葉も六つ葉もたくさんあるし。

高校の頃、時々先生に隠れて化学物質をちょろまかして友達といたずら実験してたんだけど(ごめんなさい)、
いきなり危ないガスが噴出したりして思わず窓の外に捨てたことが何度かあった。
何ヶ月かするとDNAのキズは四つ葉・五つ葉・・・の一大群生地になって、女のコ達がよく摘みに来てた。
理由はナゾのままにしといたのは言うまでもない(^^;

今回のは単なる自然の変異なのかもしれないけど。
東京港の海底を掘ったヘドロで作った台場でこれだから、産業廃棄物だらけなことが分ってる埋立地に東京の中央市場を移転するのは、やっぱりやめた方がいいと思うのです。ハイ。
posted by Francisco at 01:33| Comment(0) | TrackBack(1) | デザイン・建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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