73歳という年齢は、世間一般では引退の歳だけど、
建築家としては、健康ならいよいよ高みに登る時期だけに残念。
まだやり残したプロジェクトも内外に一杯あったでしょうけど、
黒川さんを慕うスタッフの方たちがきっと完成させてくれるでしょう。
お疲れ様でした。ごゆっくりお休み下さい。
→建築家 黒川紀章氏 死去(JANJAN:071012)
最後まで現役のスーパースターとして走り続け、ポキリと折れるような落花。
建築家で、しかも70代のアイドルって、ちょっと他にいない。
都知事選・参院選と立て続けに選挙の激務に打って出て、
体に負担を掛けすぎていたのかな、とも思う。
しかし、自分のやりたい事をやったのだ。
いまさら外野がとやかく言ってもしょうがない。
若い頃から、ずっと環境との共生を説いてきた。
60年代には仲間たちと欧米に飛び出して行き、「メタボリズム」
(新陳代謝する建築と都市)運動を立ち上げ、日本の立ち位置を気に掛けていた。
中国・韓国はじめアジアの人と文化もこよなく愛する人だった。
自分に6億円の保険を掛けて、アフガンに国際交流施設を建てるため
平気でタリバンの懐にも入ってゆく、気骨のあるオヤジだった。
クアラルンプール国際空港、長崎歴史文化博物館、
国立新美術館など、60過ぎてからの仕事が特にいい。
一方、日本会議の役付きまで務めた、バリバリの右翼でもあった。
この組織に名を連ねてた事だけが、管理人としては違和感があったけど、
政財界とのパイプのために、金権宗教団体であることを承知で
憂国の士を自認する自分との間で折り合いを付けたのかも知れない。
イシハラさんとも悪友だったしね。。。
それも今となってはもうナゾだ。
「新陳代謝していつまでも使える建築」のシンボル、「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」
(1972年/東京/銀座)は、世界遺産にもノミネートされながら、
グローバル化するカネの圧力に押され、取り壊しの憂き目に遭った。
清濁合せ呑んだ、ひとクセあるアーティスト。
世界から興味を持たれる名物日本人がまた一人逝ってしまった。
黒川さんのよく響く声と、ちょっとワルなコロンの香りを思い出す。
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