吉清治夫さん・哲大(てつひろ)さん親子の、息子さん、
哲大さんは、4年ほど前から年に3〜4回、ホームレス支援のために、
千葉勝浦から東京上野まで自分でトラックを駆り、
毎回トロ箱30箱以上のサバやイワシをボランティアで届けていたそうだ。
「お金や米でなくて申し訳ないが、この魚を役立ててほしい」と。
苦しい暮らしを強いられているホームレスの方たちや、
ボランティアの方たちからは「哲」「魚のあんちゃん」と慕われていた。
そして、「もっと大きな船を買うのが夢だ」と話していたという。
昨日の朝これを取り上げてた東京新聞・中日新聞のWEB記事が、夜には早くも消えていた。
サーバにキャッシュも残らないうちにソッコー消すのが最近の流行らしい。
(下の方で書いてるけど、読売の記事は生きている。東京新聞は、漁師さんが
自衛隊自体を名指しで批判したくだりを、文頭の方に載せていた。)
阿修羅にサルベージュされた東京新聞のTEXTがあったので長いけど貼っておく。
→http://www.asyura2.com/08/senkyo47/msg/470.html
元記事(削除済み)→監視ずさん回避後手 イージス艦衝突 『真実を話して』 捜索の僚船仲間ら憤り(東京新聞:080220)
(引用開始)
「自衛隊はたるんでいる」。十九日未明、千葉県南房総市の沖合で起きたイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故。帰港した僚船の仲間は、事故を回避できなかった海上自衛隊に憤りを隠さなかった。新型エンジンを買ったばかりの船長、吉清(きちせい)治夫さん(58)と、東京・上野のホームレスの人たちに魚を届け続けていた息子の哲大(てつひろ)さん(23)。冬の海に投げ出された「海の男」二人の帰還を、地元・千葉県勝浦市で、東京で、多くの人々が祈った。
「清徳丸が真っ二つになったのを見た。イージス艦を避けようとして真横からぶつけられたと思う」。衝突現場近くで操船していた金平丸の乗組員市原仁さん(38)は、捜索活動を終えて戻った十九日夕、千葉県勝浦市の新勝浦市漁協川津支所でこう話した。
衝突の瞬間は休憩中で見ていなかったが、事故の数時間前に、明かりをつけて川津港を出港する清徳丸を見送ったばかり。間もない悲劇にショックを受けたという。
現場海域から戻った僚船の乗組員らは、同日夕に記者会見。口々に海上自衛隊側を批判した。
康栄丸の中ノ谷義敬船長は「護衛艦から見えなかったと話していると聞いたが、うそだ。本当のことを言ってほしい」と怒りをあらわにした。
同僚らは午前二時に出港して以降、ずっと海に出ていたため、疲労困憊(こんぱい)の様子。同漁協の外記(げき)栄太郎組合長は「小さな船を事故に遭わせ、二人の命を危険にさらしたことに文句をいいたい。自衛隊はたるんでいる」と、強い口調で話した。
外記組合長は同日夜、行方不明になっている吉清治夫さん、哲大さんの家族に面会し、捜索の状況を報告した。
外記組合長によると、「捜索したが見つからなかった。あす再開する」と報告すると、治夫さんの母や妻らは悲しそうな表情になった。母は「孫(哲大さん)がかわいそうだ。かわいそうだ」と繰り返し話し、憔悴(しょうすい)しきった様子だったという。
川津地区は四百軒余りの小さな集落。地元の女性らは同日、約五十人が港に集まり、うちわ太鼓をたたいたり、お経を上げたりして、二人の帰還を祈った。
治夫さんの友人らによると、治夫さんは以前はアワビ漁をしていたが、五十歳ごろに脳梗塞(こうそく)を患って以降、はえ縄漁に切り替えた。しっかりとした考えで漁業に取り組み、後継ぎの哲大さんを鍛えていたという。
治夫さんの小学生からの同級生で、漁船などを扱う鉄工会社を営む渡辺滋さん(58)によると、治夫さんは昨年、一千五百万円もする新型エンジンを買ったばかりだった。
■上野のホームレス支援■
『お金じゃなく申し訳ない…魚どうぞ』
「魚のあんちゃん、無事でいてくれ」−。「清徳丸」に乗っていた吉清哲大さんは、東京・上野公園のホームレスを支援するため、ここ四年ほど一年に三−四回、自分で取った魚を届けていた。「哲」「魚のあんちゃん」と慕うホームレスやボランティアたちはひたすら安否を気遣う。
「お金や米でなくて申し訳ないが、この魚を役立ててほしい」
ボランティアでホームレスを支援する東京都荒川区の「赤銀杏(ぎんなん)会」の石崎克雄会長(60)のもとに、哲大さんがそう言って現れたのは四年ほど前。以来しばしば、サバやイワシなどを詰めた発泡スチロールの箱をトラックで届けるようになった。一回に約三十箱に上った。調理師の免許を持つ石崎さんは連日、料理や弁当をつくり上野公園のホームレスに配っているが、「フライや煮魚にしたり。ありがたい限り」と話す。
石崎さんは「哲は優しくてきっぷのいい若者。自分の家族みたいに接していた」と哲大さんの人柄を語る。料理の配達役も引き受けてくれ、「酒の席で『早く嫁さんもらえ』と言うと、いつも苦笑いを浮かべる」。
笑顔を絶やさないが、仕事の話題になると表情がきりっと締まり、「おやじ(治夫さん)の後を継ぐけれど、もっと大きな船を買って仲間と一緒に漁に出たい」と夢を口にしたという。
行方不明のニュースを見て、赤銀杏会の事務所にはホームレスの人たちから心配する電話が寄せられている。「ショックといら立ちで足が震えてくる。何とか無事でいてほしい」。石崎さんは、祈るような気持ちで救出を待っている。(藤浪繁雄)
(引用おわり)
読売の取材に応えて、僚船の乗組員の方が怒りのコメントをしている。
(この記事の最後に引用を貼りました)
→「漁船見えないわけがない」僚船乗組員ら怒りの証言(YOMIURI ONLINE:080219)
吉清さんの活躍を取り上げた記事も、読売では2/21朝の時点で残っている。
(→不明の哲大さん、路上生活者支援の心優しい青年(YOMIURI ONLINE:080220))
それにしても、体温を奪う冷たい海で、まだ安否さえ不明なお二方を想うとやりきれない。
どうか、生きていて欲しい。
政府は、防衛省と海上保安庁をサポートして、引き続き救助に総力を挙げると同時に、
防衛省に正直な情況・原因を開示させて欲しい。
運悪くワッチ(当直)の交代時刻と重なり、迅速な措置が遅れた可能性はあるようだけど、
漁船発見は衝突「2分前」との防衛省の発表が捜査の進展で「12分前」に変わったあたり、
衝突直前まで自動操舵のままだった可能性をギリギリまで隠したかった意図が見え隠れする。
石破大臣の状況報告では「漁船の緑色の灯火」と言っていたが、TVニュースで僚船の漁師さんは
「赤ランプを点けていた」と喰い違い、実は誰も見てなかったんじゃないのかと気になる。
さらに、漁船の引上げに立ち会った親族に、幕僚長が「報道陣の取材には応じないように」
クギを刺していたそうだ。
政府・監督当局の態度が柏崎刈羽原発の事故のときとソックリで、悲しくなって来る。
目の前にいる国民の命が懸かっている時に、イジイジした保身の態度はもう見たくない。
防衛大臣には今度こそ「国民の命を守る」組織の長としてのケジメを見せてもらいたい。
迎撃ミサイルシステムの評判ウンヌンとか、アメリカ様が怒るから、とか言うのは、
それがキチンと出来てからだと思う。
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